薬 師 5

 保憲が薄墨色の再生紙に条件を書き連ねてゆく。時折筆が出すかすれた音を耳にしながら、時行はささっと荷物を取り分ける。それから折りたたんだ幾枚かの紙を広げ、内容を確認するとそれらを相応しいものの上に置いた。

 「男だったら淫羊いんようかくを処方するだけで済むのだがな。」

 「それは?」

 文句と共に小さな壷を出した時行に、保憲がその中身を尋ねる。内容物が薬であることに間違いはないので普段なら尋ねなどしないのだが、それにしては仄かに良い香りがするので、彼は興味本位に口を開いてみたのだった。時行はそれに答えることはなく、返事の代わりに壷の上に被せていた紙を取り払い、保憲の目の前に置いた。香ばしい香りが小さな空間に広がってゆく。

 「胡麻?」

 独り言にも似た保憲の呟きに、短く返事をするだけの時行。原材料に対しては彼はそれ以上は何も言わなかった。代わりに、その薬は長期服用しなければならないこと、作り置きが出来ないので七日分ずつ作らなければならないことを説明した。

 「保憲殿も面倒な仕事を請けたましたね。」

 溜息を吐くように時行は言った。その彼の言わんとすることを悟り、保憲も溜息をついた。

 「何なら作り方教えるけど?」

 処方箋と作り方を書いた紙を、ペらりと保憲の目の前に垂らす。それに目を通した保憲は目を覆うようにして片手の人差し指を額に当てると、些かうんざりとして声で「いや、いい。」と返した。

 「いつものこととはいえ、どこからこんなモノを手に入れてくるんだ?」

 「吾等がまけの特権さ。尤も渡界能力があってこその話だがね。」

 妖しく微笑を浮かべて見せ、時行はお茶を口にする。

 「ところで、条件はこれでよいのか?」

 まだ墨の乾かない薄墨色の紙をくるりと反転させ、保憲は自分がまとめた条件をその提案者に示してみせる。それを黙読して納得がいったらしい時行は、保憲と場所を代わるように請うた。

 「その紙は預かって下さい。そして今から重信様宛てに書簡をしたためます。」

 そう言って保憲の許可を取り、時行は自分が持ってきた手紙用の紙に文字を書き連ねてゆく。あまり綺麗な字ではないが、出来るだけ読み易いように注意深く書いているのが保憲にも伝わってきた。それと共に侍従を基材とした香りが彼の元に届く。

 ――侍従に一真那賀いちまなかか?恋の香りと艶やかにして女の怨みたる香りを組み合わせるとはねぇ。

 保憲が弟を見守るような眼差しの裏で、そんなことを考えていると露知らない時行。視線を感じて故意に彼とは色の違う目を合わせ、こりんと首を傾げてみせる。それは感情をあまり外に出さずに様々なことを思い巡らせる保憲と、様々な感情を出しながら何も感じてはいない時行の、一瞬の腹の探り合い。お互い悪い癖だと認識しているが、止めるつもりは毛頭ないようだ。

 「何か感じたのか?」

 空とぼけたような保憲の言葉に対し、時行は笑われたかあきれられた様な感じがしたと返す。すると保憲は人の良さそうな笑みを浮かべ、そうかそうかと返して彼に二杯目のお茶を注いだ。

 「その手紙は私が責任を持って届けよう。その方が都合が良かろう?」

 そう保憲が申し出たことに対し、時行は花咲くような満面の笑みで礼を述べ、墨が乾いてからその手紙に焚きしめてある香とは異なる香を包んで文を結んだ。そしてその後別途頼まれた薬の説明をし始めたのだった。

 結局時行が保憲邸を後にしたのは、丑の刻にもなろうという刻限だった。今度はきちんと沓を履き、門前までの見送りも断り一人徒歩で闇に馴染んでいった。

→戻る

→次へ